【概念思考|常識】

「常識」とは、一般の人が持っている考え方や普通の見解、また社会人として当然持っている、あるいは持っているべきだとされる知識や思慮分別を意味します。

「常」という字には、「いつも変わらない」「普段」「標準」という意味があります。「尚」と「巾」が組み合わさった漢字で、変わらず存在する様子などから、「いつも」「つねに」という意味を持つようになったとされています。

一方の「識」は、「言」と「戠」から成り立ちます。目印をつけて物事を区別することから、「はっきりと知る」「見分ける」という意味を持つようになりました。

つまり「常識」とは、その時代や社会において、多くの人が「そういうものだ」と認識している共通の考え方と捉えることができます。

私は「常識」を概念化すると、

「変容」
「時代」
「正解ではない」

の三つで捉えています。

私は、常識ほど当てにならないものもないと思っています。

もちろん、社会の中で生活するためには常識は必要です。共通のルールや価値観がなければ、人と人との関係は成り立ちません。

しかし、常識を「絶対的な正解」と考えてしまうことには危うさがあります。

常識は、時代とともに変わるからです。

かつて当然だと考えられていたことが、科学の進歩や社会の変化によって覆されることは珍しくありません。

天動説から地動説への転換は、その代表的な例です。

かつては、地球の周りを太陽や星が動いていると考えることが、多くの人にとって自然な理解でした。実際、私たちの目には太陽が東から昇り、西へ沈んでいるように見えます。

ところが、コペルニクスらによって地動説が体系化され、その後の観測や研究によって、世界の見方そのものが大きく変わっていきました。

今では、私たちは誰も地球が太陽の周りを回っているところを自分の目で見たことがなくても、それを常識として受け入れています。

つまり、昨日の非常識が、今日の常識になることがあります。

科学の世界でも同じです。

アインシュタインほどの偉大な科学者であっても、その時代の宇宙観の影響から完全に自由だったわけではありません。宇宙をどのように捉えるかについて試行錯誤し、自らの理論を修正しながら考え続けました。

量子力学についても、当時の物理学の常識とは大きく異なる考え方が現れ、多くの科学者の間で激しい議論が起こりました。

新しい考え方というものは、それまでの常識を揺さぶるからこそ、最初は受け入れられにくいものです。

これは、科学だけではありません。

仕事の進め方、働き方、人間関係、経営、教育、社会制度など、私たちを取り巻く常識も絶えず「変容」しています。

特に大きな社会変化が起きると、それまで当然だと思っていたことが、一気に変わることがあります。

だからこそ、「それは常識だから」と言われたときに、一度立ち止まって考えることが大切なのだと思います。

「本当にそうだろうか」

と問い直してみる。

もちろん、何でも常識に反対すれば良いということではありません。

大切なのは、常識を無条件に信じることでも、無条件に否定することでもなく、自分自身で考えることです。

なぜ、それが常識になっているのか。
今の時代にも本当に合っているのか。
別の考え方はないのか。

その問いを持つことによって、初めて新しい視点が生まれます。

常識は、その「時代」における多くの人の共通認識ではあっても、必ずしも永遠に変わらない真理ではありません。

科学が進歩すれば変わる。
社会が変われば変わる。
技術が変われば変わる。
人々の価値観が変われば変わる。

常識は常に「変容」する可能性を持っています。

だから私は、常識とは「正解」ではなく、その時代に多くの人が共有している一つの見方なのだと考えています。

世の中を大きく進歩させてきた人たちの多くは、それまでの常識に疑問を持ち、自分自身で考え、新しい可能性を追い続けてきました。

常識に従うことは、とても楽です。

しかし、常識だけに従っていては、新しいものは生まれません。

「これは常識だから」と言われたときこそ、

「本当にそうなのか」

と自分自身に問いかけてみる。

常識とは、守るべき答えではなく、ときには疑ってみるべき一つの仮説なのかもしれません。