【概念思考|空】

「空」には、私たちが見上げる天空という意味のほかに、「中身がない」「実体がない」という意味があります。

また、仏教における「空(くう)」は、単に何もないという意味ではありません。万物はさまざまな原因や条件によって成り立っており、それ自体で独立した不変の実体を持たない、という考え方です。

「空」という字は、「穴」と「工」から成り立っています。「穴」は横穴や室の入口を表し、「工」は音を表す部分として組み合わされ、「むなしい」「から」という意味を持つようになったとされています。

私は「空」を概念化すると、

「無限」
「力」
「波動」

の三つで捉えています。

私は、「空」とは単なる空っぽの状態ではなく、むしろ無限の可能性を持った状態なのではないかと思っています。

何かで満たされていれば、新しいものが入る余地はありません。しかし、空であれば、そこには何でも入ることができる。固定されたものがないからこそ、さまざまなものが生まれ、変化することができます。

そう考えると、「空」は何もない状態ではなく、万物が生まれる可能性を秘めた「無限」の状態とも捉えることができます。

仏教には「色即是空、空即是色」という言葉があります。形あるものには固定された実体がなく、また、実体がないからこそ、さまざまな形となって現れる。

私は、人の一生にも同じようなものを感じます。

何も持たずに生まれ、さまざまな縁によって人と出会い、経験を重ね、知識や財産、地位などを身につけていく。そして最後には、それらをすべて手放していくことになります。

そう考えると、空に近づくことは、自分に付着したものを一つひとつ手放していくことでもあるように思います。

その中でも、最も難しいのが「自我」や「欲」を手放すことではないでしょうか。

人から認められたい。
自分が得をしたい。
自分の思い通りにしたい。

こうした欲は、人が生きていくうえで自然に生まれるものです。それ自体を完全になくすことは難しいと思います。

だからこそ、日々の内観や自省によって、自分の中にある欲を見つめ、少しずつコントロールしていく。

その先に「空」に近い境地があるのかもしれません。

しかし、私はまだ、そのような境地を体験したことはありません。むしろ、人生を通して少しずつ近づいていくものなのだと思っています。

ここで興味深いのが、「欲をなくしたら、やる気までなくなってしまうのではないか」という問いです。

私は、必ずしもそうではないと思っています。

もし、自分の成功や名誉、承認欲求だけが行動の原動力であれば、それらへの執着が薄くなったとき、確かにやる気も弱くなるかもしれません。

しかし、他者や社会のために何かをしたいという「利他」の気持ちが原動力であれば、自我を抑えることと、仕事への情熱は別のものではないでしょうか。

むしろ、自分の欲から少し離れることによって、

「自分がどう評価されるか」

ではなく、

「自分に何ができるのか」

という、より純粋な「力」が生まれてくるように思います。

そして、その力は周囲にも伝わっていきます。

私は、ここでいう「波動」を、何か特別な現象としてではなく、自分の考え方や行動が人に伝わり、さらにその人から別の人へと広がっていく働きとして捉えています。

利他的な行動をすれば、その思いに共感する人が集まる。感謝をすれば、その感謝が次の人へ伝わる。誰かを助ければ、その人がまた誰かを助けるかもしれない。

一人の思いや行動が波のように広がっていく。

それもまた、「空」から生まれる力なのではないかと思っています。

自分の中を欲や執着でいっぱいにするのではなく、少しずつ手放していく。

空をつくることで、新しい縁や学びを受け入れることができる。
空をつくることで、自分本来の力を発揮することができる。
そして、その力が波のように周囲へ広がっていく。

「空」とは、何もないことではなく、何にでもなれる状態なのかもしれません。

無限の可能性を持ち、自我や欲を手放すことで本来の力を引き出し、その力を他者や社会へ広げていく。

私は、そのような「空」の状態に少しでも近づいていくことが、人生における修行の一つであり、生きる目的にもつながっていくのではないかと思っています。