【概念思考|奇蹟】

「奇蹟」とは、常識では考えにくいような、不思議な出来事や現象を意味します。また、宗教的には、人知を超えた力が現れた出来事として捉えられることもあります。

「奇」という字には、「普通とは異なる」「予想外で驚くべき」という意味があります。通常の枠から外れた、思いがけないものを表す字です。

一方の「蹟」は、「足」と音を表す部分から成り立ち、人が歩いたあとや、残された跡を意味します。そこから、人が残した業績や足跡という意味にも広がりました。

この二つを合わせた「奇蹟」という言葉には、人の通常の理解や予測を超えた出来事が、ひとつの「跡」として現れるような意味を感じます。

私は「奇蹟」を概念化すると、

「人知を超えたもの」
「思い」
「陰徳」

の三つで捉えています。

奇蹟というと、何もしなくても突然幸運が舞い込んでくるような印象があります。

しかし私は、奇蹟はただ受け身で待っている人には、なかなか起こらないのではないかと思っています。

例えば宝くじでさえ、買わなければ当たりません。

とても単純なことですが、偶然のように見える出来事にも、その前には必ず何らかの行動があります。

人と会う。
新しいことを始める。
誰かを助ける。
何かに挑戦する。

そうした行動によって、初めて思いがけない出来事と出会う可能性が生まれます。

そして私は、その行動の根底にある「思い」も大切だと考えています。

明るく生きる。
感謝する。
人のために行動する。
自分だけが得をすることを考えない。

このような思いを持って行動している人には、人が集まり、縁がつながり、思いがけない機会が巡ってくることがあります。

それは外から見れば「奇蹟」に見えるかもしれません。

しかし、その人のそれまでの生き方をたどれば、決して偶然だけではないことも多いのではないでしょうか。

反対に、自分の利益だけを考え、人との信頼を軽視していれば、せっかくの縁や機会が近くにあっても、それに気づかなかったり、失ったりすることがあります。

私は、奇蹟を引き寄せるものの一つが「陰徳」ではないかと思っています。

陰徳とは、人に見られるためではなく、誰も見ていないところでも善い行いを積み重ねることです。

評価されるからやるのではない。
褒められるからやるのでもない。

自分が正しいと思うから行動する。

困っている人がいれば助ける。
約束を守る。
人が見ていないところでも手を抜かない。
誰にも知られなくても、社会のためになることをする。

そうした行動は、すぐに何かの見返りになるとは限りません。

しかし、長い時間の中では、それをどこかで見ている人がいるものです。

「あの人なら力を貸したい」
「あの人なら紹介したい」
「あの人と一緒に仕事をしたい」

そんな縁がつながったとき、本人から見れば思いもよらない支援や機会として現れることがあります。

それを私たちは「奇蹟」と呼んでいるのかもしれません。

そして、もっと大きな視点で考えれば、私たちが今ここに生きていること自体も、奇蹟と言えるように思います。

地球には生命が存在できる環境があり、長い進化の過程を経て人類が生まれ、さらに数え切れないほどの人とのつながりの中から、自分という一人の人間が今ここに存在しています。

約138億年という宇宙の歴史の中で、私はこの一瞬を生きています。

太陽があり、地球があり、水があり、生命が生まれ、自分の命までつながってきた。

こうした一つひとつを考えていくと、「自分が生きているのは当然のこと」とは、とても思えなくなります。

私は、ここにも「人知を超えたもの」を感じます。

奇蹟とは、突然起こる特別な出来事だけではないのかもしれません。

今日、目が覚めたこと。
誰かと出会えたこと。
仕事ができること。
誰かの役に立てること。

当たり前だと思っていることの中にも、無数の偶然や縁が重なっています。

そう考えれば、奇蹟を待つ生き方ではなく、すでに与えられている奇蹟に気づく生き方の方が大切なのだと思います。

善い「思い」を持つ。
人が見ていなくても「陰徳」を積む。
そして、ときには「人知を超えたもの」に感謝する。

そうした生き方を続けていると、振り返ったときに、

「あれは奇蹟だったのかもしれない」

と思える出来事に出会うことがある。

私は、奇蹟とは偶然を待つことではなく、日々の生き方によって、その可能性を少しずつ広げていくものなのではないかと思っています。

そして何より、今ここに生きているという奇蹟に感謝し、この与えられた人生をできる限り有意義に使っていきたいと思います。