【概念思考|人格】

「人格」とは、人の性格や人柄、品格を表す言葉です。また、感情や意志などの複雑な精神活動をまとめ、その人らしさを形づくるものでもあります。

「格」という字に含まれる「各」は、足が硬いものにつかえて止まる様子から、「行き着く」「いたる」という意味を持つようになったとされています。

そこに「木」が加わった「格」は、一定のところまで届くことや、物事の筋道、基準といった意味へと広がりました。

そう考えると「人格」とは、人としてどのような基準に到達し、どのような基準を持って生きているのかを表す言葉のようにも思います。

私は「人格」を概念化すると、

「修養」
「修練」
「制御」

の三つで捉えています。

人格者とは、自分の感情や欲望のままに行動するのではなく、自分を律し、ときには自分よりも他者を優先して考えることのできる人ではないでしょうか。

そのためには、まず自分自身を深く理解する必要があります。

自分にはどのような欲があるのか。
どのような場面で感情的になるのか。
何を大切にして生きたいのか。

自分自身を知らなければ、自分を律することもできません。

だからこそ、日々の「修養」が必要になります。

自分の言動を振り返り、間違っていれば反省する。

自我が強く出ていなかったか。
自分の利益だけを考えていなかったか。
人によって態度を変えていなかったか。

こうした問いを自分自身に繰り返すことで、少しずつ自我を「制御」できるようになるのだと思います。

しかし、人格は考えているだけでは身につきません。

学んだことを実践し、失敗し、また修正する。

この繰り返しによる「修練」が必要です。

知識として正しいことを知っているだけでは、実際の行動にはつながらないことがあります。

特に、逆境や苦境に置かれたときには、その人の本当の姿が表れます。

順調なときには、誰でも穏やかでいることができます。

しかし、思い通りにならないときや、大きな責任を背負ったときにも、同じように真っすぐ前を向くことができるか。

人を責めるのではなく、困難を自分の成長の機会として受け止めることができるか。

そこに、人格の深さが表れるのだと思います。

私は、学びによって得た知識が、実践によって見識となり、さらに困難の中で実行できるようになって初めて「胆識」へと高まっていくと考えています。

正しいことを知っている。

正しいと判断できる。

そして、困難な状況でも実行できる。

ここまで到達して、初めて人間力としての人格が形づくられていくのではないでしょうか。

稲盛和夫氏は、人格を「性格+哲学」と捉えていました。

私は、この「哲学」の部分こそ、日々の修養や修練によって身につけていく人間力に近いものではないかと思っています。

生まれ持った性格そのものを大きく変えることは難しいかもしれません。

しかし、どのような考え方を持つか、何を正しいと考えるか、どのような行動を選ぶかは、自分自身で磨いていくことができます。

そして、その根底に最も必要なのが「利他」の精神だと思います。

自分さえ良ければよい。

自分だけ得をすればよい。

そのような考え方の中に、人格者は生まれません。

まず他者のために何ができるのかを考える。

自分の能力や時間を、社会のためにどう使うのかを考える。

そのような姿勢が、少しずつ信用をつくり、人としての品格につながっていくのだと思います。

一方で、人格というものは、とても壊れやすいものでもあります。

何十年とかけて築いてきた信用であっても、一度、自分の欲に負けて不誠実な行動をすれば、一瞬にして失ってしまうことがあります。

他者の評価は、それほど厳しいものです。

だから人格とは、一度手に入れれば終わりというものではありません。

毎日、自分を律する。
学び続ける。
実践する。
反省する。
そして、自我を制御する。

その繰り返しによって、少しずつつくられ、同時に守り続けていくものなのだと思います。

「修養」によって自分を整える。
「修練」によって行動を磨く。
そして、自我や欲を「制御」する。

人格とは、生まれ持ったものではなく、自分自身の意志によって、生涯をかけて磨き続けるものなのではないでしょうか。