【概念思考】信成万事

「心の底から信じてくれる人には、うそをつくことが出来ぬ。信ずる人をごまかすことは出来ぬ」

人の世の交わりの本は「信じる」ことであり、事を成す根本の力は信念にほかなりません。私たちが立ち止まり、憂えるのは環境が危ないからではなく、ただ心に疑いがあるからです。憂いは失敗を招きます。その憂いを払い、未来を切り拓くエネルギーの源泉こそが希望であり、信じる力です。

「信」という言葉の語源を紐解くと、私たちが他者や社会と交わす言葉の重みが見えてきます。

漢字の起源からみる「信」

人を表す「人(にんべん)」と、言葉を意味する「言」の組み合わせ。

もともとは、人が発する言葉に自ら責任を持ち、一切の偽りがない誠実なあり方、すなわち「まこと」や「約束」を意味していました。神への厳かな誓いや、お互いを深く信頼して交わす契りのニュアンスが、この文字の由来です。

「信成万事」を捉える私の概念としては、以下の3点です。

約束

利他

陰徳

【コラム:狡猾さを捨て、真の規律に生きるーー陰徳がもたらす「信」と奇蹟の環】

信頼や信用というものは、社会を生きる私たちが良好な人間関係を築き、事を成し遂げるために欠かすことのできない絶対的な基盤です。

この「信」を獲得するための第一歩は、極めてシンプルです。それは、交わした「約束」を必ず守るという徹底した姿勢です。たとえば、時間を守るという基本的な行為。時間を守らないということは、相手の人生における最も貴重で、二度と取り戻すことのできない不可逆な価値を奪う行為にほかなりません。遅刻をしても笑って誤魔化すような人は、時間の持つ重みを認識できておらず、本質的に自分中心に生きている証拠です。相手を心から想う「利他」の気持ちが欠如しているからこそ、そのような傲慢な態度が現れてしまいます。

また、私たちが生きる社会には、集団を維持し、共に生きていくための決まり事やルール、規律が存在します。 これを尊重し、守り合うことで初めて私たちは人間らしい豊かな共生を営むことができます。しかし世の中には、ルールの不備や隙間を狙い、自らの利益のために狡猾に立ち回る者がいます。どれほど知能が高かろうとも、それは単なる責任の回避であり、誠実な生き方とは対極にあるものです。

真に目指すべきは、他者の監視の目があるから守るという受動的な態度ではありません。 誰も見ていない場所であっても、宇宙の原理原則と自らの良心に従い、寸分の狂いもなくルールを守り抜く強さ。さらに一歩進んで、他者のために見返りを求めず善行を積み重ねる「陰徳」の実践。これこそが、利他の精神の究極の姿です。

承認欲求に突き動かされるのではなく、自然体で善きことを想い、極く普通に善き行動を取れるようになったとき、人間の運命は劇的に好転し始めます。誰にも見せない誠実な「信」の積み重ねがあるからこそ、天はそこに良縁を授け、常識を超えた「奇蹟」を巡り合わせるのです。