【概念思考】我執
「我執とは、自分中心に生きていること。自分だけ良ければ他者はどうでも良いという利他とは正反対の利己・自己・我利我利になっている人のことである」
私たちは他者や社会との緊密な関わりの中で生かされている存在です。しかし、ひとたび我執の罠に囚われると、際限のない欲の奴隷となり、自分さえ良ければいいという利己的な生存闘争へと身を投じることになります。それは他者への思い遣りや感謝を忘れた心の「弱さ」の露呈であり、どれほど高い社会的地位や成功を収めた者であっても、やがては自滅(崩壊)へと向かう不変の因果を孕んでいます。
「我執」という言葉の語源を紐解くと、自らを守るための武器で自らを縛り上げる、矛盾に満ちた人間の業が見えてきます。
漢字の起源からみる「我執」
「我」:刃先がギザギザしたのこぎり、あるいは威嚇と防衛のための「武器」をかたどった象形文字。そこから「自分・われ」という自他を分かつ境界の意識を指すようになりました。
「執」:罪人にはめる手かせを表す「幸」に、人が両手で何かをしっかり持つ姿である「丮(げき)」の組み合わせ。捕らえたものを絶対に離さないよう、固く「掴む・縛る」ことを意味します。
つまり「我執」とは、他者を拒絶し自らを頑なに守ろうとする防衛の武器(我)を、自らの両手で手かせのように固く握りしめて離さない(執)という、極めて不自由で硬直した精神状態を意味しているのです。守っているつもりのその手が、実は自分自身を最も深く縛り付けていることに気づかねばなりません。
「我執」を捉える私の概念としては、以下の3点です。
利己
弱さ
欲
【コラム:成功の錯覚と「餓鬼の檻」ーー逆境という痛みを経て、我執の武器を降ろす】
ビジネスの現場や公的な機関において、手段を目的化させ、組織を私物化する「我利我利(がりがり)」の迷走が後を絶たないのは、人間の心に巣食う我執が原因です。特に注意すべきは、大きな成功を収めた人や、高い社会的地位に就いた人が陥る「成功の錯覚」です。「すべては自分の実力で勝ち取ったものだ」と傲慢になり、その地位や富にしがみつく姿は、他者への感謝や恩送りを忘れた心の「弱さ」そのものです。
彼らは自ら進んで際限のない「欲の地獄」へと足を踏み入れ、自分だけの極めて狭い範囲でしか物事を考えられなくなる、いわば「餓鬼の檻」に囚われているのです。
この我執の呪縛を打ち破り、真の自己解放(自己からの解放)を果たすために、天が与えてくれる絶好の契機こそが「困難や逆境(痛み)」にほかなりません。 順風満帆な時には決して見えなかった自らの傲慢さに気づき、手痛い失敗という尊い知見(実践のフィードバック)を得ることで、人間は初めて他者の痛みを自分事として寄り添う「傾聴」と「利他」の精神を獲得できます。逆境とは、私たちを痛めつけるためのものではなく、自らを頑なに守っていた「我」という武器を降ろさせ、宇宙の原理原則へと身を委ねさせるための神聖な修養の場なのです。
他者からの承認を求めるのをやめ、足るを知り、万事に感謝を捧げる生き方を徹底すること。
誰が見ていずとも規律を守る「陰徳」を積み重ねることで、心眼が開かれ、目の前の事象の裏にある「因縁」が鮮明に見えるようになります。自らを頑固に主張するのをやめ、素直に変化を受け入れたとき、我執の手かせは自然と崩れ落ち、私たちは関わるすべての人と共に成長する、最強の自然体へと飛躍できるのです。


