【概念思考】無我

「無我とは、我(自我)を無くすること、自我を捨てることであり、自我に捉われない状態である」

自我を完全に滅することは生死の境界すら超越した涅槃の境地ですが、私たちが生きる現世において目指すべき「無我」とは、底なしの欲や感情の支配から自らを解放し、何事にも囚われない軽やかな心の状態を指します。上限のない欲の地獄へ転がり落ちないために、私たちは常に境界線を意識し、自らのあり方を厳しく顧みなければなりません。

「無我」という言葉の語源を紐解くと、執着の武器を捨て去り、大いなる調和の中で美しく舞う精神のあり方が見えてきます。

漢字の起源からみる「無我」

「無」:人が衣の袖をひるがえして厳かに舞う姿を描いた象形文字(「舞」の原字)。そこから、目に見える実体や固定された執着が「ない」状態を指すようになりました。

「我」:ギザギザした刃を持つのこぎりと、武器である「矛(ほこ)」を組み合わせた文字。もともとは他者を威嚇し、自らを守るための「武器」を意味していました。

つまり「無我」とは、他者と自分を切り離し、自らを守り誇示しようとする防衛的な武器(我)を完全に手放し、何物にも遮られることなく、大いなる宇宙の摂理の中でしなやかに命を躍動させる(無)という、究極の精神的調和を意味しているのです。

「無我」を捉える私の概念としては、以下の3点です。

自我

修養

原理原則

【コラム:上限なき金銭地獄を撃ち抜くーー「身を委ねる」ことで到達する最強の自然体】

ビジネスや人生の道程において、多くの人が「もっと多くを」と自己最大化を追い求め、我利我利(がりがり)の罠に囚われて迷走します。特に金銭に対する欲望は、一度飲み込まれると一生を台無しにするばかりか、周囲の信頼(Credibility)を失い、マイナスの残骸を撒き散らす人生へと堕落していく最も危うい引き金です。

この地獄のような執着から抜け出すために不可欠なのが、現世における無我の実践、すなわち「欲のコントロール」と「感情の消滅」にほかなりません。

家族と幸せに暮らし、最低限の食欲が満たされ、妻や子どもたちと日々の温かな会話が交わされる。この「今日も生きている」という素朴な現実に最大の価値を見出し、心から「足るを知る」こと。この確固たる基軸を持つことが、欲の肥大化を防ぐ防波堤となります。

さらに、魂を激しく揺さぶる「怒り」や「恐怖」という感情を制御するために、私たちは日々の修養を重ねる必要があります。 怒りとは、自らの「べき論」や我執と、他者の価値観との衝突によって生まれる傲慢さの現れです。これを静めるためには、目の前の事象を「素直」に受け入れ、万事に対して「有難う」と感謝を捧げる生き方を徹底することです。感謝の波動が高まれば、そもそも怒るという感情そのものが心の中から完全に消滅します。

また、自らの立場や保身が脅かされることで生じる恐怖に対しても、徹底的に「大いなる流れに身を委ねる」という選択をすることで、恐怖心そのものを無力化できます。

自らを頑なに守ろうとする武器(我)を捨て去り、利他と感謝の精神で世界と一体になること。すべてを受け入れ、宇宙の原理原則に身を委ねきったとき、人間は誰にも傷つけられない「最強の自然体」を手に入れることができるのです。