【概念思考】実践

「得た知識は48時間以内に何らかの実践をしないと、その知識は永遠に活きることがない」

どれほど膨大な知識を頭の中に蓄えようとも、それを現実の社会で実際に行わなければ、何の役にも立たない自己満足の世界で終わってしまいます。それどころか、行動を伴わない知識は、時に人を傲慢にし、身動きをれなくさせる弊害すら生み出します。頭で理解したことを五感を使って実社会で踏み行うからこそ、知識は初めて血の通った能力へと昇華するのです。

「実践」という言葉の語源を紐解くと、私たちが自らの足で真実を掴み取ることの重みが見えてきます。

漢字の起源からみる「実践」

「実(實)」:家や霊廟を表す「宀(うかんむり)」に、財宝を紐で通した様子を表す「貫」の組み合わせ。家の中に財宝が満ちている様子から、内容が充実していること、あるいは「本当の行い(真実)」を意味します。

「践(踐)」:歩く・踏む動作を表す「足(あしへん)」に、踏みつける音を表す音符「戔」の組み合わせ。実際にその場に足を運んで「ふむ」「踏み行う」ことを指します。

つまり「実践」とは、ただ頭の中で論じる(空虚な)ものではなく、自らの足を現場へ運び、泥を払いながら一歩一歩大地を踏み締めて行うこと(践)であり、それによってのみ、人生の中に本物の価値や果実を満たすことができる(実)という、冷徹なまでの行動原則を意味しているのです。

「実践」を捉える私の概念としては、以下の3点です。

見識

習慣

習得

【コラム:評論家のプライドを捨て去るーー「即行・反省・継続」がもたらす勤労の歓喜】

現代社会には、自らはリスクを負って動きもしないのに、他者の行動に対して言い訳や保身、あるいは上から目線の評論ばかりを繰り返す、卑屈で無駄なプライドに囚われた人々が少なくありません。彼らは手段と目的を逆転させ、本質から最も遠いところで迷走しています。

そのような漂流から決別する唯一の方法が、圧倒的なスピード感をもった「即行」です。

新しい知見を得たならば、48時間以内に何らかの形で実際に行動へ移す。これを「習慣」とすることです。 本気でやってみれば、当然そこには「上手くいくこと」と「上手くいかないこと」という、生々しい現実の結果(フィードバック)が現れます。上手くいけば、その仕組みを愚直に継続する。上手くいかなければ、何が足りなかったのかを真摯に解析・反省し、もう一度学び直して再トライする。この終わりのない「改善」のループを回し続けることだけが、単なる知識を、社会で本当に通用する「見識」へと昇華させる唯一の道なのです。

やって失敗することを恐れるあまり保身に走るよりも、失敗すらも自らの魂を磨くための貴重な経験として貪欲に即行する。その姿勢こそが、人生をどこまでも豊かで充実したものに変えていきます。