【概念思考】謙虚
「謙虚であることは、卑屈になることでも、ペコペコすることでもなく、凛とした姿勢を保ち、自然体でいることである」
無闇に自らの知識を見せびらかすようなことはせず、問われれば丁寧に語り、そっと手を差し伸べる。手柄を平然と相手に譲れるほどの器の大きさを持つこと。これこそが真の謙虚さであり、そこにはおごり高ぶることのない、澄み切った素直な心が宿っています。
「謙虚」という言葉の語源を紐解くと、私たちが内面に湛えるべき「器」の本質が見えてきます。
漢字の起源からみる「謙虚」
「謙」:言葉を表す「言」に、稲穂を束ねる様子から集める・兼ねるを意味する「兼」の組み合わせ。言葉によって相手を敬い、自らをへりくだる様子を意味します。
「虚」:虎の皮を意味する「虍(とらがしら)」に、丘を表す「丘」の組み合わせ。もともとは誰もいない広大な「空(から)」の場所を指していました。
つまり「謙虚」とは、内に豊かなものを集め持っていながら(謙)、心の中には一切のこだわりや我執を残さず、常に透き通った空(虚)の領域を維持しているという、極めて高度な精神的均衡を意味しているのです。
「謙虚」を捉える私の概念としては、以下の3点です。
高い能力
人間力
修養
【コラム:持てる者が行う「自己抑制」の美徳ーー謙虚さは日々の修養が創り出す地層である】
世間一般において「謙虚」という言葉は、時に消極的な態度や、単に腰を低くすることと混同されがちです。しかし、真の謙虚さとは、圧倒的な「高い能力」と蓄積があって初めて成立するものです。
知識も、知見も、経験も、人並み以上に豊富に持っている。しかし、それを誇示したり他者へ押し付けたりせず、日常ではそっと胸の奥に仕舞っておく。この「我慢(自己抑制)」ができる強さこそが、本当の謙虚さの正体です。何も持たない者がへりくだるのは単なる卑屈ですが、豊かに持っている者が他者を立て、手柄を譲る姿には、凛とした気品と大きな「人間力」が滲み出ます。
この揺るぎない自然体のあり方を支えるのが、他者を尊敬し、万物に感謝する心です。 相手からの苦言やクレームに対してすら、「自らを正す機会をいただいた」と素直に感謝の念を抱くことができれば、そこには傲慢さが入り込む余地などありません。
ただし、人間は弱い生き物です。どれほど志を高く持っていても、ふとした瞬間に独善的になったり、自分を良く見せようとする虚栄心が頭をもたげたりするものです。 だからこそ、最も重要になるのが「日々の修養と反省」にほかなりません。夜、静かに一日を振り返り、自らの欲や慢心を制御する。この愚直なプロセスを幾重にも、何年にもわたって積み上げていくことで、それはやがて心の地層となります。
「今日から謙虚になろう」と思って一朝一夕に身に付くほど、この境地は浅くありません。意識的な努力を繰り返した果てに、ある日、何気ない言動のなかに「無意識の謙虚さ」が自然と漏れ出すようになるのです。
内に大いなる知性を秘め、心は常に空のごとく。


