【概念思考|共感】

「共感」とは、他人が体験している感情や心の状態、あるいは人の主張を、自分も同じように感じたり、理解したりすることを意味します。

「共」という字は、左右の手で物を捧げ持つ姿から生まれたとされています。そこから、「ともに」「いっしょに」「そろえる」という意味を持つようになりました。

一方の「感」は、「心」と「咸」から成り立ち、心が動くこと、何かを感じ取ることを意味します。

この二つを合わせた「共感」という言葉には、相手と同じところに立ち、その人の心の動きをともに感じようとする意味が込められているように思います。

私は「共感」を概念化すると、

「経験」
「推察力」
「波動」

の三つで捉えています。

私は、共感には段階があると感じています。

最初の段階は、傾聴の延長にある「寄り添う」という状態です。

相手が置かれている境遇や、心身の苦しさについて話を聴き、その背景を理解しようとする。

言葉を通じて、

「なぜ、この人はつらいのか」
「何が苦しいのか」
「どのような経験をしてきたのか」

と考える。

ここでは、自分自身の「経験」と照らし合わせながら、相手の気持ちを推察していきます。

たとえ同じ経験をしたことがなくても、自分の過去の体験や感情を手がかりにして、相手の痛みに近づくことはできます。

そして、

「この人は、自分を理解しようとしてくれている」

と相手が感じれば、少しずつ心を開いてくれるようになります。

ただし、この段階では、まだ言語を中心とした理解が大きいように思います。

もう一段深い共感になると、言葉で理解するだけではなく、相手の感情を自分自身の中でも感じるようになります。

相手が苦しそうに話していると、自分も胸が苦しくなる。

悲しみを語っていると、その悲しさが自分にも伝わってくる。

言葉だけではなく、表情、声、呼吸、視線、間の取り方など、五感を通じて相手の状態を感じ取る。

そこには、高い「推察力」が必要になります。

人は、すべてを言葉にしているわけではありません。

「大丈夫です」と言いながら、実際には全く大丈夫ではないこともあります。

言葉の裏側にある感情や、本人自身さえ十分に言語化できていない気持ちを感じ取る。

私は、このあたりから本当の意味での共感が始まるのではないかと思っています。

こうした関係性ができると、お互いに表面的な自分だけではなく、より深い部分まで開示できるようになります。

弱さ。
不安。
失敗。
怒り。
嫉妬。

普段は人に見せたくない自分も含めて、相手に見せることができる。

そして、それを否定せずに受け止めてもらえる。

そこには、大きな安心感があります。

さらに私は、共感には、もう一段深い領域もあるように感じています。

それは、言葉や五感だけでは説明しきれない関係性です。

長い時間をともに過ごし、同じ経験を重ね、同じ方向を向いて修養や修練を続けていく。

そうすることで、言葉を交わさなくても、

「今、この人はこう感じているのではないか」

と分かるような関係性が生まれることがあります。

私は、この感覚を「波動」という言葉で捉えています。

もちろん、これは科学的な意味での波動ということではなく、人と人との間に生まれる、言葉では説明しにくい空気感や感応のようなものです。

何も言わなくても伝わる。

離れていても、相手の変化を感じる。

その人がいるだけで、空気が変わる。

こうした関係性は、短期間でつくれるものではありません。

互いに多くの経験を共有し、信頼を積み重ね、それぞれが人間として成長していく中で、初めて生まれるものではないかと思います。

私は、共感とは単に「相手の気持ちが分かる」という一言では表せないほど、深さのあるものだと考えています。

「経験」を通して相手を理解する。

「推察力」によって、言葉の外側にある感情を感じ取る。

そして、さらに深い関係性の中では、「波動」とでも表現したくなるような、言葉を超えた感応が生まれる。

共感の深さが増すほど、人と人との関係も深くなっていきます。

表面的に理解し合う関係から、互いの弱さまで受け入れ合える関係へ。

そして、言葉を超えて相手を感じ取る関係へ。

私は、共感とは、人と人がどこまで深くつながることができるのかを示す、一つの尺度なのではないかと思っています。