【概念思考|教育】

「教育」とは、人を教え育てることです。知識や能力を身につけさせるだけではなく、人に意図的に働きかけ、より望ましい姿へと成長させていく営みでもあります。

「教」という字には、「孝」と「攵」が含まれています。「孝」には、年長者の教えや行動を下の世代が学び、受け継いでいく意味があり、「攵」は働きかけや動作を表します。

一方の「育」は、子どもが生まれ、命が育っていく姿を表した漢字とされています。単に知識を与えるのではなく、人そのものを育てるという意味が、この字には込められているように思います。

私は「教育」を概念化すると、

「知識」
「人間力」
「人間形成」

の三つで捉えています。

教育を考えるとき、まず必要になるのは「知識」です。

読み書き、計算、自然科学、歴史、語学など、社会の中で生きていくために必要な知識を身につけることは、教育の重要な役割です。

しかし、私は、知識だけでは教育として十分ではないと考えています。

なぜなら、本当に大切なのは、得た知識を「何のために使うのか」ということだからです。

どれほど多くの知識を持っていても、それを自分だけの利益のために使うのか、他者や社会のために使うのかによって、その意味は大きく変わります。

そこで必要になるのが、「人間力」です。

人間として、何が正しいのか。
どう生きるべきなのか。
他者とどのように関わるのか。
困難に直面したとき、どのような姿勢で向き合うのか。

こうしたことを考えるためには、知識だけではなく、哲学や倫理観、生き方について学ぶことが必要です。

私は、現在の教育において、この部分が十分に扱われていないように感じています。

試験で点を取る。
偏差値を上げる。
より良い学校へ進学する。

こうしたことも一つの目標ではあります。

しかし、それだけが教育の目的になってしまえば、「何のために学ぶのか」という最も大切な問いが抜け落ちてしまいます。

学ぶ目的は、知識を増やすことそのものではありません。

身につけた知識を人生にどう生かすのか。
社会のためにどう役立てるのか。
自分自身をどのような人間に育てていくのか。

私は、ここまで含めて初めて教育なのだと思っています。

つまり、教育の最終的な目的は「人間形成」にあるのではないでしょうか。

知識を得る。
その知識を使って考える。
実践する。
失敗する。
反省する。

この繰り返しの中で、人は少しずつ自分なりの哲学や価値観をつくっていきます。

そして、その哲学が、その人の判断や行動の軸になっていく。

知識に哲学が加わって初めて、知識は生きたものになるのだと思います。

私は、教育には「心」を育てる役割も必要だと考えています。

感謝すること。
他者を思いやること。
約束を守ること。
自分を律すること。
失敗から学ぶこと。
社会の一員として何ができるかを考えること。

こうしたことは、試験の点数には直接表れません。

しかし、人生を歩むうえでは、むしろこうした力の方が重要になる場面が多くあります。

知識だけが高くても、自分の欲だけを優先するのであれば、その知識が社会のために使われるとは限りません。

反対に、正しい考え方や利他の心を持っていれば、身につけた知識や能力を、より良い方向に使うことができます。

だからこそ私は、教育とは単に「頭を良くすること」ではないと思っています。

「知識」を身につける。
「人間力」を磨く。
そして、「人間形成」につなげる。

この三つがそろって、初めて教育になるのではないでしょうか。

学校教育においても、学力だけではなく、生き方や考え方について学ぶ機会がもっとあって良いと思います。

子どもたちが、

「何のために学ぶのか」
「どのような人間になりたいのか」
「自分の力を誰のために使うのか」

という問いを持つことができれば、学ぶ意味そのものも大きく変わってくるはずです。

教育とは、知識を詰め込むことではない。

一人の人間が、自分自身の人生を歩み、他者や社会と関わりながら、より良い人間へ成長していくための土台をつくること。

私は、それが教育の本来の役割なのだと思っています。