【概念思考】プロフェッショナル

「どんな状況においても、やるべきことをやる意識を忘れずに前進する。それまでに積み上げてきた練習量と、それに裏付けされる自信があるから、迷うことなく攻めていける」

プロフェッショナルとは、単に高度な専門知識や技術を切り売りする者のことではありません。厳しい自然環境や想定外の逆境(不振や失敗)に直面したとき、保身のための言い訳や無難な逃げ道を一切排除し、自らのミッションに向かって果敢に「即行」し、攻め抜くことができる圧倒的な精神の持ち主を指します。その一打、その一歩にすべての責任を背負い、誰が見ていずとも牙城を崩さない強固な意思こそが、本物の証です。

「プロフェッショナル」という言葉の源流を紐解くと、私たちが社会や自らの魂に対して立てるべき、厳かな誓いのメカニズムが見えてきます。

語源・起源からみる「Professional」

ラテン語で「公然と宣言する」を意味する 「profiteri(プロフィテオル)」 、および「前に(pro-)」+「認める、言う(fess)」からなる完了分詞 「professus」 が原点。

もともとは、大いなる存在や神の前で「私はこの道において倫理的に正しく振る舞い、自らの任務を全うする」と厳かに誓いを立てる宗教用語でした。つまり「プロフェッショナル」とは、単に報酬を得るための職業人を指すのではなく、社会に対して、そして何よりも自分自身の良心に対して「この使命を命懸けで果たす」と堂々と公約(宣言)し、それを形にしていく生き方そのものを意味しているのです。

「プロフェッショナル」を捉える私の概念としては、以下の3点です。

継続した努力

責任

意識

【コラム:二度の池ポチャを跨ぐ「攻めの美徳」ーー見識と執念が織り成す、漂流なき実践の現場】

ビジネスの現場や中小製造業の経営支援において、手段を目的化させて保身に走り、ルールの隙間を狙うような「評論家」や「我利我利(がりがり)」の輩には、絶対に到達できない領域があります。それが、極限のプレッシャーのなかで自らの「信」を貫くプロフェッショナルの世界です。

強風が吹き荒れ、わずかな狂いが命取りになる難グリーンのサービスホール。一度池に捕まるという手痛い挫折(失敗)を味わった後、誰もが「安全に奥へ乗せてスコアをまとめよう」と言い訳を探す場面で、なおもピンを果敢に攻め抜く。その揺るぎない「勇気」と「変化」を恐れない姿勢にこそ、人間の最高純度の美徳と知性が宿ります。

なぜ、彼らはそこまで圧倒的な「即行」と攻めの選択ができるのでしょうか。 それは、他の誰も見ていない日常の暗闇において、どれほど地味で過酷な「継続した努力(陰徳)」を積み重ねてきたかという、プロセスへの絶対的な自負があるからです。その磨き上げられた「見識」があるからこそ、恐怖に飲み込まれることなく、自らの腕と意思を「素直」に信じ切ることができるのです。

たとえ結果として二度の池ポチャを喫したとしても、そこで逃げずに自らの責任と向き合い、本気で挑みきった足跡は、決して無駄な残骸にはなりません。むしろ、その不安定な成功を拒む生々しい失敗の体験こそが、次なる飛躍を約束する極めて尊い知見となるのです。

私たちのビジネスの現場も、全く同じです。 どのような苦境や厳しいコンディションに直面しようとも、経営者に寄り添い、傾聴し、伴走チームやリーダーズネットワークの構築へと愚直に打って出る。私心を排し、48時間以内に実践を繰り返すその背中こそが、関わるすべての人々の社員エンゲージメントを高め、組織を永続的な繁栄へと導く強力な引力(VCP)となります。

他者からの安易な承認を求めるのをやめ、自らの価値観と誓い(プロフェッション)に従って、ただやるべきことを淡々と、かつ烈烈たる執念をもってやり抜くこと。