【概念思考】捨我得全

「一生に二度と出あうことのない大窮地に陥った時こそ、度胸の見せどころである。一切を投げうって、捨ててしまう」

地位も、名誉も、財産も、生命さえも――すべてを投げうち、己の執着を捨て去ったとき、まことに思いもよらぬ好結果が突如として現れます。常識をはるかに超えた「奇蹟」と呼ばれる現象は、このように自らの我を捨て切った瞬間にこそ起こるものです。

「奇蹟」という言葉の語源を紐解くと、人間の常識や予測を超えたものの本質が見えてきます。

漢字の起源からみる「奇蹟」

「奇」:人の形を表す「大」に、あてにならない・曲がるという意味を持つ「可」の組み合わせ。人間の予測や常識の枠を大きく超えた「めずらしい」「不思議な」様子を表します。

「蹟(跡)」:足跡や歩んだ道を意味する「足(あしへん)」に、積み重ねを意味する「責」などの組み合わせ。

つまり「奇蹟」とは、全くの偶然によって降って湧くものではなく、人智を超えた大いなる力(奇)が、それまでにその人が歩み、積み重ねてきた道のり(蹟)の上に明確な足跡として現れる現象なのです。

「捨我得全」を捉える私の概念としては、以下の3点です。

執着

流れに身を委ねること

本気

【コラム:窮地で問われる「生前準備」ーー奇蹟を手繰り寄せる陰徳と見識】

絶体絶命の窮地に陥ったとき、その人の人間性の本質がすべて露わになります。 狼狽して保身に走るのか、それとも腹を据えて「一切を投げうつ」覚悟で対峙できるのか。この一瞬の身の施しによって、その後の人生は180度変わります。

しかし、大窮地の最中に突然、冷静かつ大胆な判断ができるわけではありません。有事における度胸や対応力は、窮地に陥る「前」の生き方に100%依存しています。

日頃から利他の精神を持ち、万事に感謝して生きているか。永遠に生きるかのように学び続け、気づいた瞬間に即行して、その経験を「見識」にまで高めているか。こうした日々の泥臭い道程と心の準備があって初めて、いざという時に我欲を捨て、大いなる流れに身を委ねる覚悟(本気)が生まれるのです。

そして、それまでの人生で積み重ねてきた「陰徳」こそが、窮地において思わぬ良縁を結び、常識を超えた「奇蹟」となって現れます。

奇蹟とは、何もない空白から生まれる魔法ではありません。それまでの善き生き方、信を貫いた足跡(真摯なる生前準備)があるからこそ、天が最後に最高の好結果をもたらすのです。「捨てる神あれば拾う神あり」ではなく、自ら我を捨てるからこそ、すべて(全)を得る。