【概念思考|尊厳】

「尊厳」とは、尊く、おごそかで、侵すことのできないことを意味します。

今日では、「人間の尊厳」という言葉で使われることが多く、人は誰であっても、生まれながらに価値を持ち、その存在そのものが尊重されるべきであるという意味を含んでいます。

「尊」という字は、酒の入った器を両手で捧げる姿から生まれたとされています。神聖なものを大切に扱う姿から、「とうとい」「うやまう」「価値が高い」という意味を持つようになりました。

一方の「厳」は、旧字体では「嚴」と書き、険しい崖や厳しく戒める様子から、「近寄りがたい」「おごそか」「厳しい」という意味を表します。

この二つの字から考えると、「尊厳」とは、単に相手を大切にすることではなく、その人の中にある、他者が簡単には踏み込んではならない領域まで含んでいるように思います。

私は「尊厳」を概念化すると、

「不可侵な領域」
「人」
「意志力」

の三つで捉えています。

今日、フランスの介護施設を舞台にした映画を鑑賞しました。

認知症が進んだ人たちと、そこで働く人たちとの関わりを通して、「生きるとは何か」「人とは何か」、そして「魂とは何か」というところまで考えさせられる作品でした。

介護施設は、事業として見れば介護サービスを提供する場所です。

しかし、そこにいるのは「物」ではなく、「人」です。

認知症が進み、言葉による意思疎通が難しくなったとしても、そこには感情があり、その人なりの人生があり、その人らしさがあります。

そして、人と人との関係である以上、その基本は私たちの日常におけるコミュニケーションと何ら変わらないのだと思います。

相手を一人の「人」として見る。
相手の話を聴く。
相手の感情を受け止める。
そして、相手の存在そのものを尊重する。

お互いを尊重することで関係は少しずつ深まり、言葉だけでは伝わらないものまで通じ合うことがあります。

その根底にあるのは、「この人を大切にしたい」という気持ちなのだと思います。

私は、人には誰にも侵されてはならない「不可侵な領域」があると考えています。

自分は何者なのか。
何を大切にして生きてきたのか。
何を望み、何を望まないのか。

それは、その人のアイデンティティーそのものです。

たとえ年齢を重ねても、病気になっても、認知機能が低下しても、この領域まで他人が勝手に奪ってよいわけではありません。

むしろ、自分で十分に意思を伝えることが難しくなったときほど、周囲の人間が、その人の尊厳を守る必要があるのだと思います。

そして、そこには「意志力」も存在します。

人は、自分の死を意識したとき、何を考えるのか。

死を拒絶するのか。
少しずつ受け入れていくのか。
残された時間を何のために使うのか。

映画を観ながら、人が死を受け入れていく過程についても考えさせられました。

最後まで自分らしく生きようとすることも意志です。

そして、自分だけのためではなく、最後は誰かのために生きようとすることも、一つの意志なのだと思います。

私は、人の価値は、仕事ができるか、社会に役立つか、誰かの役に立てるかということで決まるものではないと思っています。

何もできなくなったとしても、「人」であることに変わりはありません。

そこにいるだけで、その人には、その人として守られるべきものがあります。

それが「尊厳」なのだと思います。

人には、誰にも踏み込まれてはならない「不可侵な領域」がある。

その中心には、一人の「人」がいる。

そして、その人には最後まで、自分らしく生きようとする「意志」がある。

他者の尊厳を守るとは、相手を自分の価値観で判断するのではなく、その人がその人として存在することを認め、尊重することなのではないでしょうか。

生きることの最後まで、人は人である。

その当たり前のことを忘れないことが、「尊厳」を守ることの原点なのだと思います。