【概念思考|人格】

「人格」とは、人の性格や人柄、その人らしさを形づくる精神的なあり方を意味します。また、道徳的な行為の主体として、その人がどのように考え、どのように振る舞うかを表す言葉でもあります。

「人」という字は、人が横を向いて立っている姿から生まれた象形文字とされています。古代の文字まで遡ると、一人の人間が立っている姿を表したものだと考えられています。

一方の「格」は、「木」と「各」から成り立つ形声文字です。「各」には、あるところへ至る、突き当たるという意味があり、そこから「基準」「枠組み」「品位」といった意味へと広がっていきました。

この二つを合わせた「人格」という言葉には、その人が人としてどのような基準を持ち、どのような品位を備えているかという意味も感じます。

私は「人格」を概念化すると、

「品」
「修養」
「自我を無くす」

の三つで捉えています。

「あの人は人格者だ」という表現があります。

私が人格者という言葉から最初に思い浮かべるのは、自分の欲や都合だけを優先するのではなく、他者のことを考えて行動できる人です。

どうしても自分中心の考え方が強くなれば、「自分だけ良ければよい」という行動につながります。

そして、その姿勢は、周囲から見れば搾取や利己的な行動として映ることもあります。

反対に、自分の利益よりも、相手にとって何が良いのか、社会にとって何が良いのかを考えることができれば、その人の言動には自然と「品」が生まれるように思います。

人格を構成する要素には、謙虚さ、公平さ、勇気、芯の強さ、利他の心、凛とした姿勢、そして気高さなど、さまざまなものがあると思います。

しかし、それ以上に大切なのは、状況によって自分の言動を変えないことではないでしょうか。

うまくいっているときだけ謙虚でいる。
立場の強い人にだけ丁寧に接する。
自分に利益があるときだけ約束を守る。

それでは、本当の人格とは言い難いように思います。

逆境にあっても、誰が見ていなくても、同じ姿勢を保つことができる。

そこに、その人の本当の「品」が表れるのだと思います。

そのような人格は、一朝一夕で身につくものではありません。

日々の「修養」が必要です。

学ぶ。
実践する。
自分の言動を振り返る。
間違っていれば改める。

この繰り返しによって、人としての基準が少しずつ高くなっていきます。

そして、その修養を続けていくためには、自分は何のために生きるのかという「大義」や「目的」を持つことも大切です。

目的が自分の中にしっかりとあれば、目先の損得だけで判断しにくくなります。

その場では自分が損をするように見えても、何が正しいのか、何をすべきなのかという基準で行動できるようになります。

そして、人格を高めるうえで最も難しいことが、「自我を無くす」ことではないかと思っています。

人から認められたい。
自分を良く見せたい。
自分の考えを通したい。
自分が得をしたい。

こうした自我は、誰の中にもあります。

それを完全になくすことは簡単ではありません。

しかし、自分の中にそのような欲があることを認識し、少しずつ抑えていくことはできます。

「自分がどう見られるか」ではなく、「何が正しいのか」。

「自分が何を得られるか」ではなく、「相手や社会のために何ができるのか」。

そのように考えられるようになれば、人格者に一歩近づくことができるのではないでしょうか。

そして、人格というものは、特別に難しいことだけでつくられるわけではありません。

約束を守る。
時間を守る。
嘘をつかない。
人によって態度を変えない。
誰も見ていなくても手を抜かない。

とても単純なことです。

しかし、この単純なことを毎日繰り返し、長い年月続けることによって、「この人なら信頼できる」という評価が少しずつ積み上がっていきます。

いつも遅刻をする。
約束を簡単に反故にする。
都合が悪くなると言うことを変える。

どれほど立派なことを語っていても、それでは人格者とは言えないと思います。

私は、「性格」と「人格」は少し違うものだと考えています。

性格には、生まれ持った気質や育った環境など、自分だけでは変えにくい部分もあります。

しかし、人格は、自分自身の意志でつくっていくことができる。

どのような考え方を持つのか。
どのような行動を選ぶのか。
失敗したときに、どう反省するのか。
日々、どのような姿勢で生きるのか。

その一つひとつの積み重ねが、人格を形づくっていきます。

「品」を持つ。
日々「修養」を重ねる。
そして、少しずつ「自我を無くす」。

人格とは、生まれたときから完成しているものではなく、生きていく中で、自らの意志によって磨き続けていくものなのではないでしょうか。